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 アルカラの主要モニュメント

2.Puerta de Madrid(マドリッド門)
3.Palacio Arzobispal(大司教館)
4.Monasterio de San Bernardo(サンベルナルド修道院)
7.Casa Natal de Cervantes(セルバンテスの生家)
15.Rectorado(アルカラ大学本部)
30.Alcalingua(アルカラ大学外国人用スペイン語コース)
31.Catedral(大聖堂)
地図外:Complutum(コンプルトゥム)

-Puerta de Madrid
現在の門は建築家、アントニオ・フアナ・ホルダンの設計で、1788年、トレドの大司教ロレンサーナ枢機卿の出資によって中世の門が建て替えられました。当時流行していたネオ・ルネッサンス様式のこの門の半円アーチの上の石碑には、建築月日、建築家、ロレンサーナ枢機卿と当時の国王カルロス3世の名が刻まれています。
マドリッド門
大司教館 -Palacio Arzobispal
13〜14世紀にかけてトレドの司教によって要塞兼居宅として建設されたこの建物(東翼にはその当時建てられたテノリオの塔が残る)は、16世紀にフォンセカ、タベラ両司教の時代に大司教館となりました。  メインファサードは、この時代のアロンソ・デ・コバルビアのもので、19世紀にはマヌエル・ラレードによってネオ・ゴシック、ネオ・ムデハル様式に則った修復・改築作業が行なわれました。ここでは、アラゴン王女カタリ−ナ、ドイツ皇帝フェルナンドが生まれ、カスティージャ国王フアン1世が崩御しており、新大陸到達の6年前にコロンブスが初めてイサベル女王に謁見した場所でもあります。   残念ながら、1939年8月の火災で当時、国の文書保管庫であったこの建物は、たくさんの保管文書と共に建物内部を焼失。テノリオの塔は近年、忠実に復元され、現在は宗教書を扱う書店となっています。
-Monasterio de San Bernardo
フェリペ3世の寵臣の近い親戚であったベルナルド・サンドバル・イ・ロハス枢機卿が24人のシトー会修道尼たちのために1617年創立しました。  フアン・ゴメス・デ・モラが建築を請け負ったこの一風変わった教会は、、マドリッドの初期バロック建築の中で最も美しいものの1つであります。大きなドームの中の光と音、飾り天蓋、アンジェロ・ナルディの絵画、付属宗教美術館など見どころが多い修道院です。またこの修道院から出る聖週間の行列はアルカラでも有名なものの一つです。
サンベルナルド修道院
セルバンテスの生家 -Casa Natal de Cervantes
『才智あふれるラ・マンチャの郷士ドン・キホーテ』の作者、ミゲル・デ・セルバンテスが生後数年を過ごした家です。  16世紀のカスティージャ地方の典型であるこの家は、2階建ての柱廊にかこまれたパティオを持ち、1階には食堂、台所、外科医だったセルバンテスの父の仕事場(ここで15世紀の壁画がみつかっている。)などがあり、2階にはサロン、寝室に加えて、セルバンテスの出版物展示の間があります。日本語訳の本も展示されています。当時の家具、陶器、絵画のコレクションも興味深く、この生家のすぐそば、イマヘン通りにはもう1人のアルカラ出身著名人、スペイン第二次共和制首相マヌエル・アサーニャの生家もあります。
-Rectorado
1499年にトレドの大司教シスネロスによって創設されました。アルカラ・デ・エナレスが現在でも広く知られているのはその伝統において世界屈指を誇るアルカラ大学の存在です。大学内部には、ルネッサンス様式回廊のビジャヌエバのパティオの他、17世紀半ばのエレリアン様式の聖トマス・デ・アキノのパティオ、哲学者のパティオ、三ヶ国語のパティオの美しいパティオがあります。
ビジャヌエバのパティオ
正面ファサードまた、1553年、ロドリゴ・ヒル・オンタニョン設計の正面ファサードはスペイン・プラテレスコ様式の傑作です。同じ様式を持つサラマンカ大学の正門より少し後に建築されたこのファサードは三段に分かれ、大窓、神話のテーマ、宗教彫刻、紋章、円形浮き彫り、柱、火の灯されたロウソクの形をした小さな小尖塔(ピナクル)、桶に付けられた怪獣などの形をした排水口(ガーゴイル)、そしてカルロス5世の壮麗な紋章などが見る人を魅了します。
-Catedral
1122年に新しい教区の教会として選ばれるまで、建物は歳月の流れにまかせて傷むままでした。1477年には教会のランクが参事会教会に上がり、1497年から1516年にかけてシスネロス枢機卿によって現在の教会の建設が行なわれました。建設にはペドロ・グミエルの協力のもと、アントンとエンリケのエガス兄弟が携わっています。
内部には5世紀初めに殉教した聖なる子供フストとパストールの地下礼拝堂があり、櫃の中に彼らの聖遺物が納められています。
カテドラル
コンプルトゥム -Complutum
元ケルト・イベリア人集落跡に紀元前1世紀に建てられたローマ人の町コンプルトゥムには現在も“魚のモザイク”を始めとする考古学的遺物が残っています。
西ゴート族の小さな町は8世紀にアラブ人によって征服され、その支配はトレドの司教ベルナルド・デ・セリダックが1188年に町のレコンキスタを成し遂げるまで続きました。イスラム教徒支配下においてコンプルトゥムは“Qual’at abd al-Salam”と呼ばれ、ここからアルカラの名が生まれたとされています。

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